尾崎豊さんと言えば、盗んだバイクで走りだしたり、学校の窓ガラス割ってまわったり、、、
そんな歌が流行っていたころ、わーヤだわー、とまじめっ子だったあたしは聴かず嫌いをしていました。ちょうど校内暴力全盛期、いわゆる不良さんたちのファッションも好みでなかったし、タバコなんて吸ってるし、何が不満なんだろう、なんだか怖いし、
と、単純に思っていました。なので、尾崎さんには全く今日もを示さないまま大人になりました。
ところが!ところが!!ですよ
大人になって、社会に出て、いろんな思いをするうちに、ひょんなことから友人に「シェリー」という歌の一節を聴くことができて目からうろこ。
なんやかんやと社会にもまれているうちに、気分はどん底。落ち込んで落ち込んで仕方がなくなっているとき、それを察したんでしょうねー、その友人は。
「シェリー」という歌を教えてくれました。ん?尾崎豊?不良の歌じゃん、なんて。
なーんて料簡の狭い偏見だらけのあたしだったことでしょう。
歌詞そのものは紹介できませんが、興味があったら検索してみてくださいな。
はぐれ者、いつになれば這い上がれす?笑顔が卑屈になってないか?云々、、、。
気分はどん底、もうあたしなんてダメ人間だ、、、と落ち込んでいるときに聞いたその歌は
ズッキューンとあたしの胸に入ってきました。
それから尾崎さんの歌をあさるように聞きまくったのですが、とても繊細で、人間らしくて、いろんな表現をされてあるけれど、一人の人間としての生きていく葛藤がそこにはあったのです。
そして根底には人間愛、愛をストレートに語る素敵なミュージシャンだと知りました。
尾崎さんにあまり興味のない方も、ちょいとかじってみてはいかがでしょう。
「シェリー」
「失くした1/2」
「街路樹」
「僕が僕であるために」
「太陽の破片」
「街の風景」
「永遠の胸」
全部で70曲以上あるらしいですが、人間の弱いところ、愛情を求めているところ、繊細で傷つきやすい心、、、
大人になってから、気づきました。
食わず嫌いでも ちょっと覗いてみると刺さることもあるんですね
生きることに苦しんでいるあたしに、一緒に苦しんで寄り添ってくれているというか。
この記事を読んでいらっしゃるあなたに 響くかどうかはわかりませんが
尾崎豊が今でも語り継がれる意味がやっとわかったのは 大人になってから、遅かったです(笑)
ひとり一人の人間の、弱さ、愛しさを感じることができるようになりました
気が付けばあたしももう還暦近く。
人間愛に目覚めたところであります。
機会があれば【尾崎の世界】を垣間見てはいかがでしょう。おすすめです。
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